100年以上前の事件ですが、今でも知らない人はいないほど有名な、エジプト史上最も悪名高い女性連続殺人犯がラヤとスキーナです。彼女たちの犯罪は、エジプト史上の中でも特に残酷な犯罪の一つとして知られています。
ラヤとスキーナは、1919年から1920年にかけて、女性を誘い出して金の装身具を奪う犯罪を繰り返し、アレクサンドリア(犯罪が発生した都市)に大きな恐怖を広げました。
ラヤとスキーナは姉妹で、エジプト最南部・アスワン県エドフ市に属するアル・カルフ町で、母親と兄のアブ・アルアラと一緒に暮らしていました。
兄のアブ・アルアラも、後にこの犯罪グループの一員となります。
その後、彼女たちは上エジプトを離れ、ベニ・スエフ県、さらにカフル・エルザヤートへと移り住みました。ラヤは(ハサバアッラー・サイード)と結婚し、二人の間には(バディア)という娘が生まれました。
一方スキーナは結婚後、夫とともにアレクサンドリアのアル・ラバン地区に移住しましたが、のちに離婚し、ムハマド・アブドゥルアールという男性と再婚します。この男性は、後に彼女たちの犯罪にも加わることになります。

その時、第一次世界大戦の影響で経済状況が非常に悪化し、失業も広がっていました。その中でラヤとスキーナは、売春の斡旋やドラッグ、アルコールなどの違法な仕事に手を出すようになります。
やがて彼女たちは、女性を誘い出して金の装身具を奪い、その後殺害し、痕跡を残さないように密かに遺体を埋めるようになりました。
この犯罪グループは計6人で構成されており、ラヤ、スキーナ、ムハマド・アブドゥルアール、アブ・アルアラに加え、(オラビー)と(アブドアッラゼーク)という二人の男性も関与していました。
ラヤとスキーナは、布市場など女性が多く集まる場所で被害者に近づき、言葉巧みに信頼を得た後自宅へ誘い込みました。家では、アルコールなどの飲み物にドラッグを混ぜて飲ませ、被害者が意識を失い始めるのを待ちます。
その後、別の部屋で待機していた犯罪グループのメンバー(ムハマド・アブドゥルアール、アブ・アルアラ、オラビー、アブドゥルラザーク)が現れ、2人が被害者の手足を押さえ、1人が頭を固定し(頭を動かないようにする)、もう1人が布で口と鼻を塞いで窒息させました。
被害者が死亡すると、持っていた金の装身具や所持品をすべて奪いました。彼女たちの犯罪の中でも特に衝撃的なのは、遺体を自分たちが住んでいた家の中に埋めていたことです。
遺体が埋葬された同じ家に彼らが住んでいたと考えるだけでも恐ろしいですね!
被害者の失踪の発覚が遅れた理由はいくつかあります。当時は貧困の影響で、より良い生活を求めて家族のもとを離れる女性が多く、そのため失踪が不自然に思われにくかったことが一因でした。
また、当時の女性の服装は黒一色で、顔を覆うスタイルが一般的だったため、個人を識別することが難しかったという事情もありました。
さらに、ラヤとスキーナは事前に女性たちと知り合い、自宅に招待する前に信頼関係を築いていました。そのため、被害者は自らの意思で家に向かっており、抵抗や争いもなかったことから、誘拐や殺害を疑われることが少なかったのです。

1920年1月、アレクサンドリアのラッバン地区警察署に勤務していた警察官イブラヒム・ハムディは、遺体の一部(髪の毛や骨)が発見されたという通報を受けました。捜索と掘り起こしを続けるうちに、次々と遺体の断片が見つかり、調査はやがて、警察署からすぐ近くにあるラヤとスキーナが住んでいた家へとつながりました。
警察官は家の中の部屋の床タイルを掘り起こし、その下から遺体の一部を発見しました。そこで家主を呼び、「最後にここに住んでいたのは誰か?」と尋ねます。
家主は、その家をモハメド・エルサムニという人に貸していて、彼がこの家の部屋を又貸ししていたと説明しました。
そして、前の入居者の中にラヤとスキーナがいたことも明らかになります。
しかしその後、家主は元の借主であるモハメド・エルサムニを追い出して、同時にラヤとスキーナも退去させていました。ラヤとスキーナは何とかして再びその家を借りようとしましたが、家主はそれを拒否しました。
この発見をきっかけに、大規模な捜査が行われました。捜査の中で、家の中に異常に強いお香の匂いが漂っていることが判明します。その後の調査で、ラヤとスキーナは、埋められた遺体から出始めた臭いを隠すためにお香を使っていたことが明らかになりました。
最終的に、ラヤとスキーナは女性たちを誘拐し殺害した罪で有罪となり、彼らによって17人が殺害されたことが確認されました。
この事件の恐ろしいところは、遺体が家の床下に埋められていたにも関わらず、殺人犯は何事もなかったかのようにその上で暮らし続けていたことです。
更に、警察が遺体を掘り出した時に、地中から立ち上った臭いはあまりにも強烈で、誰も耐えられないほどだったと言われました。
事件を決定づけた証拠となったのは、最後の被害者である「ナバウィーヤ」の衣服でした。その衣服は、スキーナが住んでいた部屋の中で見つけました。
さらに、ラヤの娘(バディーア)が警察に証言し、被害者が殺害され、埋められる現場を目撃していたことを明らかにしました。
こうして事件の全容が明らかになって、犯行グループは全員逮捕され、1921年12月21日と22日に死刑が執行されました。ラヤとサキーナは、近代エジプト史上初めて死刑された最初の二人の女性でした。

ラヤとスキーナの物語は、これまでに数多くの芸術作品として描かれてきました。ドラマ、舞台、映画などが制作され、そのほとんどがタイトルもそのまま「ラヤとスキーナ」でした。
また、彼女たちの人生や犯罪について書かれた書籍も出版されていて、中でも有名なのが、サラーフ・イーサーによる『ラヤとスキーナの男たち』(2002年)です。


更に、事件が起きた家は現在、アレクサンドリアのラバン地区にあり、観光スポットとミュージアムとして知られています(中には入れませんが、外から見ることはできます)。
家の外には、犯行グループの写真や、彼らを突き止め逮捕した警察官の写真、さらには死刑判決の決定書のコピーまで展示されています。


